帰国後ボスキャリに参加する3つのメリット【よくある嘘と本当の話】(寄稿)
(寄稿)ボストンキャリアフォーラム(ボスキャリ・Boston Career Forum)について
今回は、交換留学中からの帰国後に、再度渡米しボスキャリに参加することのメリット・デメリットについて書きます。対象は学部三年生です。
留学中にボスキャリに参加した人のブログ記事は多くありますが、帰国してからのボスキャリ参加に関する記事はほとんどありません。こうした境遇にある人の参考になれば幸いです。
※私自身は交換留学中にボスキャリへ参加しました。したがって、これは体験談ではありません。
※個人の感想です。応募条件など重要な情報は、志望企業やキャリアフォーラム側に問い合わせて確認してください。
問題
留学によってボスキャリに参加する資格を得たのだが、帰国後に再度渡米してまで参加する価値は、果たしてあるのだろうか?国内就活に比べてどのような利点があるのか?
対象
・日本の大学に所属し、学部三年生から交換留学。帰国後、一年落として2回目の学部三年生としてボスキャリに参加を検討中。
・文系。商社とコンサルを志望。
よくある嘘:国内採用より採用基準が緩い
企業は大枚を叩いてボスキャリに参加しており、また採用担当者は採用目標人数を課されています。このことから、ボスキャリでは国内より採用基準が緩いという話をする人が多くいます。しかし、これは嘘です。
ボスキャリには8000人の学生が訪れます。日本で人気の商社やコンサルは海外でも人気があります。しかしながら各業界からの参加企業は限られているため、それらの企業に応募者が殺到します。さらに彼らは海外で揉まれた猛者たちです。
したがって、この話は、応募者が殺到しない業界に属する企業には当てはまりますが、人気企業には当てはまりません。それどころか、より厳しい競争に直面することになると言えるでしょう。
メリット
それでも、いくつかメリットは存在します。
・その日のうちにに内定が出る:コンサルなら、ボスコン以外はその場で内定が出る。でも、商社はなんたら協定の影響で、日本の大学の三年生はその時期選考対象にならない。
・(コンサル)ジョブに参加せずとも内定が出る:面接とジョブでは測ることのできる能力が異なる。ジョブは非常に特殊な環境で、面接でなら採用されたであろう人が落とされることもあると思う(逆も然り)。どちらが実力をよりよく測れるかの議論は置いといて、自分がジョブより面接でパフォームできると思うなら、ボスキャリに参加する価値はある。
・就活の練習になる。いろんな人と会えるので楽しい。留学感を味わえる。
デメリット
そしてもちろん、デメリットもあります。
・お金がかかる:日本からの参加でスカラシップをもらえる確率は低い。ヨーロッパから参加した人たちですら、もらえた人の例は聞いたことがない。
・(コンサル)日本のジョブ選考に参加できない。
・商社など日系企業は採用対象でない。
結論
上記のメリットが特別当てはまる人や、観光がてらに参加する人でなければ、三年生の段階で日本からわざわざ行く理由はあまりないと言えるでしょう。
とはいえ
何事もやる気があるうちにやっちゃうのがいいので、日本の就活よりボスキャリにやる気を感じているなら、その点だけでも挑戦する価値があるんじゃないかなとも思います。
photo credit: Always Shooting Boston: The birthplace of America via photopin (license)
【クマシ観光】Kejetia市場とAdanwomase村
テーマ
アフリカの魅力 活気と文化
アシャンティ王国の首都 クマシ
移動と宿
昨日からガーナはアシャンティ地方、クマシに来ています。
アクラからの移動にはVIPバスを使いました。予約はできないので、当日朝8時半にバスターミナルへ。混んでいたこともありバスはすぐ一杯になり、スムーズに発車。4時間半の道のりでした。
ホテルはFour Villages Innにしました。ガーナ‐カナダのハーフが運営するこのゲストハウスは、一泊100ドルほどと高いですが、なんとバスタブ付き!自宅にもついてないのに!
イースター休暇でどの観光施設も開いていないとのことなので、翌日のツアーガイドをお願いして、近くの国営高級ホテルGolden Tulipへ遊びに行きました。
プールサイドで食べたクラブハウスサンド
翌日の朝飯
Kejetia市場
8時からツアーガイドと観光へ。
西アフリカ最大と言われるKejetia市場
鉄道路線が一時的に廃止になったことから、線路上までマーケットがひろがる
画面左端奥に見切れている建物は、かつてガーナ政府がオランダからの援助を受けて建設した貨物ターミナル。理由は分からないが全く使われず、廃墟化しているとのことでした。
この市場自体も順次立ち退きを進め、近代的な商店街に生まれ変わらせる計画を政府は掲げているそうです。市場の人々はそれを嫌がっているそうですが、長期的な発展を考えれば必要な痛みなのかもしれません。
事実、写真は控えますが、二週間前、うず高くマットレスを積んだトラックが電線に接触し、周囲の建物を巻き込んだ火災に発展したそうです。
市場の中に入ると、狭い路地にところ狭しとものが並んでいます。商店だけでも、石鹸、布、靴、野菜、肉、化粧品、家具などなどと幅広く、またアルミニウムを加工したりサンダルを作ったり散髪したりしてる人もいて、まさになんでもあり!
昼はガイドさんと。ピラティアという魚のグリル。彼女の人生や宗教観がとても面白かったのですが、プライバシーなので省略。
Adanmowase村
午後はケンテ布生産地であるAdanmowase村へ。移動はバスターミナルからトロトロ(乗り合いバス)。
ケンテ布生産の現場を間近で見られます。ここはかつて村の市場でしたが、幹線道路脇への移転に伴い、観光振興のためケンテ布センターとして整備されたそうです。これを推進したのがガイドのコスモス。聡明で快活な青年で、村の財務を担当しているそう。村のエースの活躍に胸が熱くなります。
カカオ畑も見学。チーフの所有地とのこと。ところで、このチーフというのはアシャンティ王国の王族から選ばれた村の政治的経済的リーダーです。社会的にも村人から尊敬され、村をまとめ上げています。ただ、奴隷貿易が行われていた時代に、隣国に攻め入って捉えた人々を商人に売り渡していたのも彼らという事実は、忘れてはならないでしょう。
この新型トイレはチーフの寄付により建設された。オープン前日!地下に貯められた廃棄物は、政府の施設に送られてバイオガス生産の原料になるそうです。
フィジカルの強さを存分に発揮して遊ぶ子どもたち
その後、ケンテ布をいくつか購入して帰宅。このケンテ布も面白く、様々ある模様の一つ一つに、アシャンティの文化と意味が込められているのです。僕が買ったのは"My heart desires"。プロポーズの際にこれを渡すこともあるそうです。
途上国の田舎はほんと心が癒やされます。自然が多く、子どもがたくさん!活気ある市場もいいですが、この村での半日はかけがえの無い経験になりました。
開発のあり方について
この日はトップダウンとボトムアップ、ふたつの開発のあり方を見たと思います。今回はたまたま前者が失敗例、後者が成功例として現れましたが、両者も一長一短。どちらでも大事になるのは、現地のニーズに応え、現地の人間のリーダーシップに基づき、サステナブルなスキームで実施することだと思います。
ある人からこの日聞いた、「私はこの国のNGOセクターで働く人をあまり尊敬していない。寄付金がもらえなくなったらそれで終わりだし、彼らは自分たちの飯の種に、困っている人たちを利用している。」という言葉も印象に残りました。
さて、自分はどうするのか。
ブログを書いていると写真を取り忘れにくいのでいいですね。
明日は沿岸部のケープコーストに移動です。
ガーナ旅行 アクラ観光
今回は一週間弱ガーナに来ています。
旅程はアクラ、クマシ、ケープコースト。
旅はアクラのコトカ国際空港から始まりました。飛行機を降りる瞬間に熱帯の空気を感じ、テンション上がる。空港を出ると親しげな自称オフィサーが寄ってきます。SIMカード購入、ATM利用、タクシー探しを手助けしてくれますが、最後にチップを求められます。もしあげたければあげましょう。ATMは空港を出て左手の壁にあり、タクシー代は20程度が相場かと思います。
近年インフレ率が10%代後半を記録してることから予想はしていましたが、ロンリープラネット最新版に載ってる価格より、多くのものが値上がりしています。
アクラではAgoo Hostelに泊まりました。安全で、安く、朝飯が美味く、面白い人が多く、フレンドリーなスタッフがいて、熱いシャワーがあり、エアコンが効いていて、とても良いと思います。過去にはホステルワールドでアフリカ一番になったことがあるそうです。
観光はジェームスタウンがおすすめです。ナイスワンというガイドがいれば彼に頼むといいと思います。ホステルのお兄さんから電話番号を貰えます。写真を撮るためにはガイドのアテンドが必要です。
灯台からの景色
漁村の町並み
魚を燻したり干したり
私営の公共トイレ。ガーナはオープンデフェケーションの問題が根強く残っていますが、ここは衛生的な施設が整備されています。
オーナーはムスリム、使用料は0.5、ピットラトリーン式とのこと。コミュニティ内に2つあるそうです。
寄付をもとにフリースクールを運営してるそうです。休日だったので、中に入ると音楽がなっていて、子どもたちが抱きついてきました。
砦。かつて奴隷貿易の拠点だった。
その後、歩いてアートセンターへ。工芸品をいくつか買いました。
根切り交渉のなかで、店員さんが「俺みたいなやつを助けたいんだろ?これくらいの価格呑めよ。」と言いました。僕はキレました。開発援助は、何かを与えることでなく、ともに何かを築き上げる営みであって、この援助漬けにされたアフリカの不健全な精神性に腹が立ったからです。
夜はホステルの客と飲みに行きました。
Shoprite Osuというスーパーの路地裏にあるオープンエアの店で、ローカルフードが楽しめます。チキンや魚のロースト、アボカドサラダなどを素手でいただきます。
国連職員、NGO創設者、某有名学者の研究室で働く人など、なかなかのメンツで、ただの観光客である僕は浮きました。
その後は少し歩いてクラブへ。カクテルが15もしてびっくらこきました。一人で行くのは危なそうな雰囲気でした。